V.A. - Tokyo Riddim 1976-1985

販売価格 0円(内税)

SOLD OUT
Label: TIME CAPSULE
Format:LP
盤質:NEW ジャケット:NEW
2024

76年〜85年のいわゆるレゲエ歌謡、中でも今を視点にしたおもしろいオムニバスがリリース。 歌謡曲にもレゲエやヒップホップ、テクノなどのエッセンスも少しづつ散りばめられるようになっていたこの時代。既に90'sにレゲエ歌謡ブームとなり(忍豚レゲエとかですね)各方面のディガーに掘られていましたが、このinfoを読んでどうしてその楽曲が出来たのかの経緯や今の時代から見ると面白いなと思う要素多数で仕入れてみました。ちなみにサブスク配信しないそうです。

-info-
当時、少しづつ日本の大衆の耳に届き始めていたレゲエは歌謡曲やシティ・ポップと融合する事で、イギリスで同時期に起こっていたラバーズ・ロックとは全く違ったルートを通ってそのポップ性に辿り着く事になった。ここに収録された日本のプロデューサーやアーティスト達はジャマイカからの政治性が強いレゲエの直接的な影響よりも、むしろポリスやUB40といった英国のニュー・ウェーヴ・ポップを経由したサウンドからの影響が強く、マーリーが「パンキー・レゲエ・パーティー」で歌ったような「社会から拒絶された者たち」向けの音楽ではなく、あくまで急成長するバブル前の日本の経済に放たれた商業的娯楽音楽の一種としてアルバムの奥深くに存在していた音楽だった。

近田春夫がプロデュースを手がけた平山みき1982年のアルバム「鬼ヶ島」からの2曲は、近田が「アース・ウィンド&ファイアーとウェザー・リポートとポリスが混ざったような凄いバンド」と評した人種熱が演奏を担当。波音から始まるロマンチック和製ラバーズ「月影の渚」に続くのはボブ・マーリー「ナチュラル・ミスティック」のベースラインを借用した硬派なレゲエチューン「電子レンジ」。更には1976年の時点で既にジミー・クリフから影響を受けてハワイで録音された小坂忠の「ミュージック」の他、コンパス・スタジオからの影響を色濃く受けたマライヤの笹路正徳が1981年にプロデュースし、フィリピンから来日したばかりの18歳のマリーンが歌うロバータ・フラックのレゲエ・カバー「ヒッティン・ミー・ウェア・イット・ハーツ」を収録。
うる星やつらのテーマ「ラムのラブソング」の国民的ヒットで知られ、84年から現在も英国に在住している小林”ミミ”泉美の1981年作「レイジー・ラブ」はLAでのアルバム製作中、たまたま見に行ったUB40の前座に出ていたレゲエ・バンド、バビロン・ウォーリアーズを彼女が気に入りその場でレコーディングをオファー。楽譜が読めないミュージシャン達に彼女がスタジオで歌って聞かせてから録音されたという。更にはシティ・ポップとニュー・ウェーヴ・レゲエが融合された越美晴の「コーヒー・ブレイク」、八神純子によるアパルトヘイトを嘆くコンシャス・レゲエ「ジョハナスバーグ」、亡き坂本龍一による管弦楽の編曲が美しいリリィ、1976年作「天気になあれ」を収録。

A1. 平山みき - 月影の渚
A2. 平山みき - 電子レンジ
A3. 小坂忠 - Music
A4. 小林 ミミ 泉美 - Lazy love
B1. 八神純子 - ジョハナスバーグ
B2. 越美晴 - コーヒー・ブレイク
B3. Marlene - Hittin' me where it hurts
B4. リリィ - 天気になあれ


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